隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年03月24日 の日記 ......
■ 月曜から中国語   [ NO. 2020032401-1 ]
 東京オリンピックの延期が決まった23日は、竹橋の会社の広告のエース、てっちゃんの62歳の誕生日だった。朝いちで彼から別件のメールが来たので一応おめでとうと返し、夕方には中国語の組閣幹事長Sくんから「今てっちゃんとお茶してます。記念に囲みません?」と連絡が来たので、急遽お祝いの中国語勉強会が吉祥寺で開かれることになった。そういう席にまさか手ぶらでは行けまい。で、国分寺で相国モナカの詰め合わせを入手して持参。するとお店がお土産に桜モナカを1個くれた。
 広告と接点のない俺がいつどうして、てっちゃんと親しくなったのか朧だが、同じ山形県人のSくんと一緒に卓を囲んだのが最初の出会いだったことは間違いない。まだ彼がヒラ部員だった四半世紀も前のことだ。礼節のきちんとしている男との印象だった。広告マンと記者というのはあまり付き合いがないのだが、彼はつとめて編集の人間と交流していたように思う。
 タバコ部屋で、週刊新潮を作った伝説の編集者「斎藤十一」の伝記本を彼が手にしていたのに遭遇し、「あれ、ちょっと他とは違うな」と思い、彼がデスク、部長、局長に栄進するたびに記念に本を差し上げてきた。最初は堀田力さんの「おごるな上司」、藤原伊織の広告界を描いた小説「シリウスの道」もあったな。
 俺が62歳で栃木の新聞社に行く話があった晩には、宴席をキャンセルして彼の銀座の行きつけの店でお祝いしてくれた。あの時は3時間カラオケで競った。俺は3000曲を誇るが、彼の歌もなかなかのものだった。そんなこともあって、彼の姪っ子が司法試験に合格し宇都宮で司法修習生になった時は、ひと月に一度は彼女においしいものをご馳走していたのだ。
 わが友赤司が病の床についた時も一緒に見舞いに行った。赤司が亡くなり、竹橋の会社の社内報の「悼む」欄は俺が書いたのだが、俺が死んだ時はてっちゃんが書いてねと、すでに原稿料も渡してお願いしてある。3万円。なに、麻雀の貸しをそれで帳消しにしただけなんだけどね。
     ×     ×     ×     ×
 今週の拙宅の花はバラシリーズ。深紅の「サムライ」、黄色で淵が緑がかった「イリオス」、白くて淵がピンクの「ベリーキュート」です。トイレの一輪挿しはオレンジ色のダリア「シャイニーオレンジ」です。あすは大学ゼミの遊び仲間との芝刈りのため「明日休診」です。 

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