隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年09月03日 の日記 ......
■ パンダの縁   [ NO. 2020090301-1 ]
 今から41年前の9月は社会部の6方面担当サツ回りだった。上野署を根城に台東・荒川・足立の3区の10警察署が持ち場だが、6方面担当には上野動物園という特別な持ち場があった。5月、上野動物園のパンダ、カンカンとランランの交尾(当時はしっかり愛を確かめ合った、と書いた)が確認され、二世誕生が期待されたが、8月30日ランランが突然倒れた。31日には「重病」、9月1日には「危篤」、2日「ランラン頑張る」という社会面トップを書くことになった。
 3日も遅くまで社で待機し、きょうは大丈夫だなと4日の未明、タクシーで東小金井の自宅に帰る途中、家まで300bのところでポケベルが鳴り、1時24分に死んだという連絡。それで動物園にとって返し、午前3時からの浅倉園長会見に臨んだ。4日の朝刊1面腹5段「ランラン死す」は予定稿を急きょ突っ込んだ。この時の社会面トップは毎日がパンダ死亡受け、読売は3日夕方に亡くなった落語家の三遊亭圓生だった。
 動物園に着くと、本社泊まり番から5人も応援部隊が来ていて、現場キャップが後に社会部長になったHさん。俺の前任のパンダ番で同期のMくんもラッキーなことにちょうど泊まり勤務で、そこに来ていた。Hさんの「パンダのことなら国民の関心が高いから、細かいことでも書こう」の指示で、4日夕刊用の原稿を朝5時には作り上げ、Mくんが飼育係、本間さんのお涙頂戴話を社会面用に見事に書いてくれた。
 それでちょっと仮眠を取ろうと、事務所で横になりかけた時、都建設局の広報マンが「11時に園長会見をします」と言いに来た。あれ?3時の会見で全部発表は済んでいるはず。で、「ガキがいたろ!」と当てたら、百戦錬磨の広報マンが首を縦に振ってしまった。ランランは妊娠していたのだ。Hさんに相談し、夕刊早番用に「ランラン身重で死す」を書いた、5日間にわたるパンダ死亡報道の中で、他紙に比べ1版だけ勝った唯一の抜きダネだった。
 その時のMくんときのう国立で昼メシを食った。俺週3日、彼週2日の校閲のアルバイトを一緒にやり、コロナで同時に雇い止めになった。その総括をやろうということになっていたのだ。しかし、話の中心はバイトではなく、自民党総裁選、新聞業界の今後、コロナの行方などで、溝ノ口に住むMくんは「都内にはほとんど出かけていない。孫もあまり顔をみせない」と嘆いていた。
 Mくんはその後社会部のエースとなり、俺は経済部だったから、一緒に仕事をしたのは上野以来なのだが、昔は記事に署名がなく、彼が書いた名文のおかげで、担当の俺が部内で認められることになったパンダのお礼をするのを忘れてたな。
 

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