ノーベル賞とか文化勲章などと比べると知名度ははるかに低いが、俺が禄を食んでいた新聞業界には、優れたスクープ記事やキャンペーン報道に与えられる新聞協会賞というのがある。 俺は入社4年目に遭遇した福島県政汚職事件で、朝日の吉田慎一記者が受賞した「木村王国の崩壊」、38歳の日銀キャップの時の日経のスクープ「太陽神戸三井銀行の合併」(89年)で協会賞を2度もやられる悲惨な経験をしているのだが、今はそんな大きな事件にぶつかることができた「幸運」を冷静に受け止めている。 今年も新聞週間に合わせて協会賞が発表された。竹橋の新聞社は「にほんでいきる」=外国籍の子どもたちの学ぶ権利を問うキャンペーン=で5年連続の協会賞を受賞した。外国人労働者の受け入れ拡大を図る昨年4月の改正入管難民法施行を前に、日本で生活する外国籍の子どもの少なくとも1.6万人が学校に通っているか分からない「就学不明」になっている事実を、自治体への調査で浮かび上がらせて特報した。 この報道がきっかけとなり、文部科学省が就学不明の外国籍の子どもの全国調査に踏み切るなど、国全体で学ぶ権利確立を目指す動きが始まった。このキャンペーン取材班の中心となったのは08年入社の奥山はるな記者(35)。 受賞の報告紙面で奥山記者は大学1年の時の授業で、教授に連れられ豊橋市の小中学校を訪れ、ひらかな、カタカナ、漢字の文字に苦労する外国籍の子どもの姿を見て関心を持ち、学校に来ない「不就学児」の存在も知り、何とかしたいと思い続けてきた。竹橋の新聞社に入り前橋支局、さいたま支局を経験して社会部に上がり、18年政府が入管法改正で外国人労働者に家族帯同を認めた際、「見えない子ども」と言われてきた未就学児を追う決心をしたのだという。 まさに初心を貫いた立派なキャンペーン報道だと感心する。受賞を知らせる記事には奥山記者の所属が人事部となっていた。社会部ではないのかと思って人事の雀友に尋ねたら「すごく当たりの柔らかい女性。実務を経験させた方が彼女の将来のためになる」と社会部からこの春、異動してきたのだとか。しかし、彼女が中心となったこのキャンペーンが協会賞を受賞することが予想できていたのなら、こういう人事はしなかったのではないかなと、ちと残念に思ったのだ。 |
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