日曜夜の柳家小春さんのライブを聴いていたら、語りで「ことしは『三の酉』まである。火事に気を付けないと」ってなことを話していた。12日に1回回ってくる酉の日。11月に酉の日が3回ある年は火事が多いという言い伝えがあるのだ。 このお酉様の日は浅草の鳳神社や新宿の花園神社で、前夜から酉の市が開かれ、縁起物の熊手が「シャンシャンシャン ―― ―― シャン!」という拍子木の音とともに販売される。千客万来、商売繁盛を願う熊手は大きなものは1万円以上する初冬の風物詩だ。 この熊手、大蔵省担当だった84年に花園神社で一度だけ求めたことがある。1000円ちょっとの小ぶりなもので、ネタがごっそりかき集められるようにと、記者クラブ(ザイケンと称した)の竹橋の会社のボックスの俺の机の上のラックにテープで張り付けていた。 ザイケンでの俺の主戦場は税金を扱う主税局で、当時はまだ消費税が導入されておらず、物品税の範囲拡大や誰もが恩恵を受けられる所得税の1兆円減税などが大テーマ。現在日銀総裁をしている黒田東彦さんが課長一歩前の企画官だった。話好きな黒田さんのもとによく出向いた。当時の所得税の最低税率は10%で「9.9%にすればみんな減税になるよね」なんて話をした時があった。結果は9.5%。あとで黒田さんは「あの9.9%にはギョッとした」と話した。 ザイケンが忙しくなるのが年末の予算編成で、12月中旬ごろ大臣の慰労の陣中見舞いが行われる。当時の竹下登蔵相がザイケンの部屋も訪れた。その時「竹下さん、これでお金をかき集めて」と俺がテープをはぎ取って小さな熊手を渡したら、竹ちゃんマンはそれを右手に持ち、庁内を回ったのだった。あのシーンはテレビでも流れた。 俺は経済部だったから政治家との深い付き合いはないが、世田谷の竹下邸には何度か朝駆けし、同じテーブルで朝めしを食べたりした。先着3人までが竹ちゃんと同じテーブルを囲める。ある時腹がへっていたのでご飯をお代わりしたら、政治部の先輩記者から「後ろがつかえているんだから、お代わりはするな」と怒られた。後の首相がステテコ姿で、自分のご飯茶碗と味噌汁の椀を重ねて流しに運ぶ姿が今も目に浮かぶなぁ。 |
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