11月18日は、山口百恵・三浦友和が40年前の1980年に霊南坂教会で結婚式を挙げた日である。芸能記者でもない俺がなんでそんなことを知っているのかというと、その1年前の11月18日に、俺は二人の娘の母親と金竜山浅草寺に詣で、お賽銭箱に5000円札をぶち込み、その後鶯谷の懐石料理の店で元福島支局長夫妻の立ち合いで結婚式を挙げたからだ。 もっと恐ろしいことにこの18日というのは、竹橋の会社の元副社長で栃木の新聞社の社長・会長を務め、俺を栃木に引っ張ってくれた鬼瓦の74歳の誕生日なのであった。栃木ではきれいどころにお願いして、宇都宮の最高級居酒屋で古稀の祝いの宴を開いたこともあったのだが、コロナの下の東京ではそういうわけにもいかない。で、18日に届くように見計らってお祝いの絵葉書をしたためた。 すると当日「ありがとうな。元気そうやな。ところで囲んでおるんか?」とドスの利いた声で電話があった。で、ソーシャルディスタンスを保ちながらマスクをしてと週1ペースで中国語の勉強はしてますと答えたら「ワシはもう2年も卓を囲んどらん。メンバーが足りない時は声を掛けてくれ」とのたまう。となれば、呼ばずばなるまい。ということで先週土曜日は、組閣幹事長Sくん、広告のエースてっちゃんとの3人でいつもの吉祥寺でお小遣いをいただくことにした。 いつもは「一索七筒」というルールで勉強するのだが、鬼瓦はこれに不慣れなため取りやめ、あとは「頭がいいんだから、他は俺らのルールでいいでしょ」と勉強を始めたのだが、もともと引きの強い鬼瓦とあって、午後2時のスタートから半荘3回すべてトップ。「キミら、毎週やっとるというのに弱いのう。ワシは2年ぶりの麻雀やで」。うるさい、うるさい。勝負はゲタを履くまで分からんわい。2回ドベを食らった俺が場替えをしてからはツキ出し、大きく盛り返した。 ハイボールを6杯も飲み酔い始めた鬼瓦は、毎回「今、何場?」とうるさいほど聞く。さらに小用がガマンできなくなり、普通は半荘が終わったところで行くトイレに「トシをとると近くなって」と2度も中座した。で、てっちゃんが大きいのを振り込んだ9時過ぎに「止め!」と叫んだ。鬼瓦は「まだ、電車はあるやないか」と続けたそうだったが、酔っぱらいとは囲みたくないのでそこで終わらせた。鬼瓦は当初のプラスを半分以下に減らしたが、相変わらず強いので、少々安心した。もちろん小ずるく立ち回った俺が一番勝ったのだ。 |
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