隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年12月01日 の日記 ......
■ 一日2食半   [ NO. 2020120101-1 ]
 早や師走である。ことしはコロナのおかげで夏も秋もなかったような気がする。加えて6月末で校閲のバイトが雇い止めになり、生活が大きく変わった。マンション管理組合の理事長兼小間使いをやっていなかったら、することがなくて、抜け殻巣籠り生活になったかも。あぁ、簡便料理研究家に転身していたかもね。
 この5カ月の一番の変化は1日2食半になったことだ。都心にバイトに出掛けていた時はそれなりに腹がへるので、3食をきちんと取っていたが、西国分寺から半径2`の生活をしているとそうカロリーを消費しないとみて、食生活を切り替えた。朝は駅前の「すき家」などに出撃し、ちゃんと食うが(けさもすき鍋定食)、昼はクラッカーかおせんべい程度。夜は長女の食事のお相伴か、雀荘で出前で取る中華丼というのが標準パターンだ。
 6月までは3食すべて外食だったが、その機会が急激に減った。その結果、3年半前の宇都宮時代に比べ体重が約2`減った。ベルトの胴回りにさほどの変化はないから、体全体から筋肉が落ちたのか。餃子の都にいたころは、お金もあり餓死してはいけないとずいぶんうまいもんを食ってたからなぁ。
 俺はバドミントンをしていた学生時代は54.5`。社会人になって3年目に58`となり、サラリーマンは背広に合わせて体型を維持しなくてはいけないということで、その体重を40年間保ってきたが、宇都宮で1`増やし、下手をすると60`を超えることがあった。
 それが今や、麻雀の翌朝は体重計が56`台を示すことがある。賭場では勝負に熱中し、中華丼を半分残すこともしばしばで、黄金の右手を前後に動かし続ける遊びはけっこうカロリーを使うものらしい。コロナで在宅勤務が増えた次女は2`増えたと言っていたが、運動量に合わせて食い物は調節しないとな。
 徳川家康の指南役、天海大僧正の遺訓ではないが、「食細うして こころ広かれ」で、これからは生きていかないとな。あとはこの前(11月12日)もつぶやいた「はげあたま五原則」だよ。

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