隠居志願のつぶやき2017

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...... 2020年12月21日 の日記 ......
■ 恩ある元上司の訃報   [ NO. 2020122101-1 ]
 世間的な注目度は低いが新聞業界の人間が目指す栄冠に、新聞協会賞というのがあって、その年の飛び切りのスクープや企画に与えられる。俺はその協会賞を他社の記者に2度もやられるという稀有な経験をしている。
 1回目は駆け出し4年目の福島支局で遭遇した県政汚職事件(76年)で、A紙の1学年下の吉田慎一くんが受賞した「木村王国の崩壊」。知事逮捕までを子細に追った235回の連載。この事件のウチの主任検事は同期の悦ちゃんだったが、同時期に東京地検特捜部が摘発したロッキード事件で竹橋の本社が特ダネを連発していたため、俺たち福島支局の抜かれの印象が薄まった感がある。
 2回目は89年8月30日の都銀、太陽神戸三井銀行の合併スクープ。日経に1面トップでやられた。この時は日銀キャップで、心身ともにボロボロとなり、10月には仕事を続けられなくなった。この時、自宅に飛んできてくれたのが当時のK経済部長だった。ヨレヨレのパジャマ姿で玄関先に出たところ、Kさんは「キャップは外すから、全部忘れろ」と言った。今から思うと、一種のうつ病だね。
 抜かれた直後から体が重く、思考力ゼロ。昼下がり記者クラブから日比谷公園に逃げ出し、ベンチで横になったりしたこともあった。お堀に飛び込んだら「日銀キャップが抜かれを苦に自殺」の三段見出しが立つなと、思いとどまったことも。
 で、翌年の3月まで自宅で静養ということにあいなったのだが、Kさんは「お前もいろいろ心配だろうから、2週間に1回、俺とデートしよう。会社には顔を出したくないだろうから、近くのホテルのロビーで会おう」。パレスホテルでの待ち合わせにKさんは一度も遅れることはなかった。このデートはほんとうにありがたかったなぁ。
 Kさんは派閥抗争に敗れ、社内的な栄達には恵まれなかったが、俺にとっては最高の上司だった。竹橋の会社を定年まで全うできたのは、俺が職場離脱した翌日に、Kさんが自宅にすっ飛んで来てくれたからに尽きる。
 退職後は関西の大学で教鞭を取っていたKさん。ずっと季節の贈り物は欠かさなかったのだが、賀状の宛名書きも終わった先週、奥方からかねて療養中だったKさんが10月に亡くなったという喪中の知らせが届いた。享年81。毎年の賀状には趣味の俳句を添えていたKさん。ことしは「茜雲 ひがしの空から春の聲」。ほんとうにお世話になりました。
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 今週の拙宅の花は「フルフル」という赤にちょっと白の入った大輪のバラと緑がかった白いバラ、それにピンクの実のヒプリカムです。
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