言葉遊びが大好きである。 世の中「”」があるとないとじゃ大違い。福に徳あり、フグに毒あり。ハゲに毛がなし、ハケに毛があり――なんか面白いね。 京王線明大前の某大で夜6時からの文章教室をやっていた一昔前、昼の仕事に疲れて20人の学生の800字の文章を読むのがしんどかったので、「竹やぶ焼けた」のような上から読んでも下から読んでも同じ回文をオリジナルで考案しろ、と言い残し屋上にタバコを吸いに行ったこともあった。読むのがこれなら楽だもんね。 この時に広告業界志望の某くんが作ったのが、できたばかりのスカイツリーをテーマにした「スカイツリー混んで都は都電効率生かす」という回文。「これはすごい。一生の宝にしろ」と言った。 回文が難しいと思った学生には、自分の名前のアルファベットを入れ替えて別人になってみよ。これをアナグラムというと解説してみせたら、河井正人(KAWAI MASATO)くん(今は地方紙の記者か)が沢井玉子(SAWAI TAMAKO)に化けてみせ、褒めた覚えも。このアナグラムは普段使っていない脳みそを使うため、頭の活性化につながるのだ。 前期高齢者が近づいた7年前「六十代になると、群れ(60)ることなく、無一(61)文に、無二(62)の親友を亡くし、無味(63)無臭の存在。無視(64)されても、むご(65)い目に遭っても、むむ(66)……とのみ発し、胸(67)元にひかれる」というのを作った。68は古川ロッパしか浮かばず、そのあとを作るのを止めたのだが、まもなくめでたく(めでたくもないか)古来、稀な年齢を迎えるので70代の言葉遊びに挑戦してみた。 スタートは69である。「無垢に慣れ 無い袖振って 何になる 並みの暮らしは 無しなのに」。後期高齢者からは「なごやかな 南無阿弥陀仏 斜めに見 名は知らずして 泣くばかり」。一応、五七五調であることを評価してほしい。 |
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