桜が散りかけている。ウチの団地の高層棟(8階)と中層棟(3〜4階)を隔てる市道沿いの桜もこの前の土日に満開とみたものが、すでにチラホラ散り始め、我が家のベランダにも花びらがかなり落ちている。はかないものよのう。 時間の有り余っている素浪人暮らし。先週の千鳥ヶ淵に続いて、好天に恵まれた今週は、おとといは井の頭公園、きのうは国立の大学通りの桜を愛でてきた。 井の頭公園は平日というのにけっこうな人出。公園入口の「いせや」で焼き鳥を4本ほど求め、カフェラテを手にどこか休めるベンチはないものかと池の周りを巡ったが、池の淵のベンチは使用禁止。遊歩道沿いのベンチは先客ありで、なかなか座れる場所がない。 神田川の源流の小川沿いにどんどん東に歩いて、ようやく空いたベンチを発見。少々冷めた焼き鳥にかぶりついた。井の頭では水辺の桜というのが映えるというのを改めて感じた。 きのうの国立の桜は、立川の伊勢丹に鳩居堂の絵葉書を買いに行った帰りに立ち寄った。駅から南に約1`続く桜並木がこんもり満開で素晴らしい眺めである。 先日、銀だこのたこ焼きを買ってベンチェ夫妻の経営するブティック「ミラノ」にプレゼントをと思ったが、定休日で大学通りのベンチでタコを8つ食うのに難儀した。きのう「ミラノ」は開いていてベンチェはイタリア語の授業中というので、美人のてるの夫人と雑談しながらタコをいただいていたら、ミラノの創業者のベンチェのご母堂に3年ぶりにお目にかかれた。 このお母様、86歳というのに姿勢はすっとしていて口調も滑らか。「サラブレッドはきれいでいいわね」とひとしきり競馬談義。歳をまったく感じさせない。リタイアしても気の持ちようが違うんだな。 帰りにド・トールのタバコ可の3階に上がったら、窓のすぐそばまで桜の花がきていた。手が届くほどのところから見る桜の花は可憐なのだった。桜についての名文は数多いが俺のイチ推しは、20年ほど前の毎日新聞1面コラム「余禄」にあった次の一文である。 「桜はまず人の外で咲き、ある時期から人の内に入ってくる。桜の木の下を静かに歩く人の心には桜の花が咲いている。あるときは喜びの、あるときは悲しみの。人は桜を見ているのではない。桜に仮託して自分の心の奥をのぞいている」 |
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