新聞の朝刊1面の下の方には折々の話題をうまいこと切り取ったコラムがある。俺が禄を食んでいた毎日は「余録」、朝日は「天声人語」、読売は「編集手帳」、日経「春秋」など、ちょっと気の利いたタイトルが付いている。その朝にピッタリの話題を「そうだよね」と思わせるタッチで描く。だから神羅万象に通じていなければならないわけで、名文家といわれる記者がほぼ一人で担当する。 朝日の「天声人語」で名を上げたのが故・深代惇郎氏で、ノンフィクション作家の後藤正治氏が「天人 深代惇郎と新聞の時代」という本をものしている。俺がうまいなと思ったのは、数年前脳梗塞になり引退した読売の竹内政明氏で、彼が執筆した「編集手帳」をまとめた新書が読売傘下の中央公論社から、16年分全32冊出ている。俺はこの32冊全部を探し求め、全部読んだ。 竹内氏の手になる「編集手帳」は行替えする読点のところに「▲マーク」が付き、これが横一線に並ぶことで筆者が竹内氏と分かる仕掛けになっていた。20年前から毎日の「余録」を書いている俺と同期のYくんも、竹内氏と同様「▲」を行の同じ高さにそろえる美学を貫いてきた。 このゴールデンウイーク、「余録」の出来が悪く、「▲マーク」も横一線でないことから、Yくんに「退役したのかい?下手が書くと大兄のコラムのうまさが際立つ」とメールとしたら、「20年度いっぱいで退役する予定だったが、後継体制の都合もこれあり、今年度はB氏との2人体制で週3日書くことになり、ゴールデンウイークはしっかり休ませてもらいました」と返信が来た。 我が同期ではただ一人、会社に残っているYくん。で、「今後もご健筆を」とエールを送った。この横一線の「▲」で書き手が分かるというやり方。これをやり通すのは文字を書く人間だったら、非常に難しいことが分かるはず。竹内氏が退役したあと、蘊蓄に富むYくんのコラムはなかなか読ませ、当代一のコラムニストではないかとみているのだ。 実はYくんが朝刊コラムを書き出した20年前、俺だってと思い”つぶやき”の前身「冷奴の部屋」を書き始めたのだが、神羅万象を取り上げるのはとても大変で、お金を取れる文章を書くのはとても無理と思い知らされたのだ。こうなりゃ年長組の星として、Yくんにはずっと蘊蓄を披露してほしいものだ。俺がまだ現役のころ、Yくんが「まだ明日のテーマが決まらない」と会社の廊下をうつむき加減で動物園の熊のように歩き回っていた姿によく出くわしたものだった。 |
|