上野動物園でパンダのシンシンが双子を産んだとか。40年も前に初めて日本に来たパンダのランランが身重で死んだ時(1979年9月4日)にパンダ番だった俺には若干の感慨がある。当時は夕刊の早版(2版)、遅版(4版)、夕刊のない地域向けの朝刊の統合版(10版)、朝夕刊セット地域向けの朝刊12版、朝刊最終版(14版)用に、記事がダブらないように1日5回、ランランの病状を書き分けた。あの頃は同じ記事を新聞に載せてはならないという不文律があったのだ。 知の巨人、立花隆さんが亡くなったことを23日朝知り、新聞がどう報じているかを知りたくて、朝日新聞夕刊を国分寺駅キオスクで買った。1面に3段で本記30行で顔写真付きで「ジャーナリスト立花隆さん死去」とあり、社会面に5段で「知の巨人 調べて書き続けた 政治・宇宙・死…分野超越」と2段の写真を使った受けの記事があった。 毎日新聞の夕刊も1面に3段50行の顔写真付きで「立花隆さん死去 ジャーナリスト『知の巨人』80歳」とあり、社会面にやはり2段写真を使って「死後自然の循環へ 立花隆さん闘病、望んだ樹木葬」と受けていた。 ところが24日の朝刊にも朝日新聞は、1面に3段で「立花隆さん死去 知の巨人・『田中角栄研究』80歳」とあり、社会面に「評伝」として100行の「文理越えた知りたがり 立花隆さん科学分野の名著次々」という原稿が2段写真と共に載っている。田原総一朗氏と山極寿一氏のコメントも。 毎日朝刊も1面3段で前日の夕刊と同じ見出しが載っており、社会面には「評伝」として「『総合知』異能の人 立花隆さん 分野を越境」の記事を2段写真と一緒に載せ、20冊近い主な著作の一覧表がある。1面の本記は前日夕刊と似たような記事だ。 速報はインターネットやテレビで知る人が多くなり、夕刊を購読していない読者向けに、敢えて同じような記事を届けているのが現代の新聞なのだ。俺らの現役のころはとても考えられない朝刊の記事だが、今や都内の新聞購読世帯は5割を切り、夕刊を取っていないウチも多いのだ。早晩、日本の新聞も香港のリンゴ日報のようになってしまう恐れが強い。 新聞に存在感があったいい時代に記者をやっていてよかったと思う一方で、構造不況業種の新聞業の行方に暗澹たる思いが強い。ニュースを発掘して読者に届ける仕事は決してなくなってはならないとは思うのだが……。 |
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