1973年5月の福島版に載った「ゴールデンウイークの交通事故に気を付けよう」のほんの14行の記事を皮切りに、自分が書いた記事は全てコクヨのA4のスクラップブック・クリアブックに保存してある。その数130冊余り。しかし、50年も前の断片的な記事なぞ何の役にも立たない自己満足の代物なのである。 大成建設のCMだったかに、これは俺が手掛けた仕事というのがあって、後世に残る橋とかを前にヘルメット姿のおじさんが「やったなぁ」と感慨深げに見やるシーンがあった。文弱の徒はそういう形に残る仕事をとてもうらやましく思うのだ。 この”つぶやき”、前身の「冷奴の部屋」から合わせると丸20年となり、これらをプリントアウトしたもの収めるクリアブックが79冊目となった。20年前は650両だったクリアブックも1000両近くなり、年金生活者には負担が大きくなった。で、管理職だったメディアセクションの頃のクリアブックに収めてあるペーパーを抜いて”つぶやき”用に転用することにした。 ちょうど20年前、俺は放送事業部長という新聞社にはあるまじき女の子にモテそうな肩書だった。部長だから記事は書かない。新聞社のホームページ(HP)に動画をアップするのが主な仕事だった。今でこそNHKなどが視聴者がスマホで撮った災害などの映像をホイホイ流しているが、当時は映像なんてどうやって撮るのだという時代。映像が撮れるカメラなんて高価で手がでないと思っていた。 すると体力派のNくんが「ソニーのサイバーショットなら20秒間の動画が撮れます。それをHPにアップすればいい」。彼が撮った動画がパソコンの7a角の画面で動いた時はホントに感激しましたね。で、「今日の動画ニュース」「スターの記者会見」「新車発表会見」「追跡さくら前線」などのコンテンツをどんどん登場させていった。 小泉純一郎首相に食い込んでいたY記者に「純ちゃんが行く」という1分間のしゃべるコラムを担当してもらったり、亡くなった岸井成格さんにお願いして動画コラム「岸井成格の一答両断」で登場してもらった。 その頃のクリアブックには、毎月の業務報告とか収支報告、企業向け広告出稿のお願い書、各動画コーナーのページビューなどのデータを打ち出したものが保存してあった。20年も前のいまではお笑い種の活字屋の映像事始めの記録なのだが、対外向けの講演録などを除き、きれいさっぱり処分することにしたのである。 × × × × 今週の拙宅の花は濃いピンクのバラ「フェリシタル」と黄色のスプレーバラ「ブライトゴールド」それに白で淵がピンクのダリア「ナマハゲチーク」です。 |
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