きょう28日は竹橋の会社の同期で、一番親しかった赤司が10年前63歳で亡くなった日である。今、赤司夫人は杉並の豪邸を売却し、その金で長野県は諏訪湖畔で、喫茶店を営んでいる。4人の子どもたちも平日ゆえ仕事で忙しいだろう。それで赤司一家の代理で小平にある墓参りに行くことにした。 真子さんの母校、ICUでゴルフ部だった赤司は、俺のゴルフの師匠(特にマナー)で、その教えもあって昨日の平均年齢73歳のラウンドでは、ニアピン・バーディー・鉄のカンなどを達成、少々稼いだ。その八王子のゴルフ場からの帰り、青梅線拝島駅まで送ってもらう車内で、明日晴れたら墓参りに行くと宣言していたのだ。 赤司は西武線小平駅から徒歩8分のバラの咲く墓地に眠っている。きのうのメンバーで小平に住む健さんは、赤司が創設メンバーだったゴルフコンペの前日には墓に詣でてから出場するとのことだが、俺は彼を悼む文章が載った社内報が出来た時に一度訪れたきりだ。しかし、だいたいの場所は記憶にある。幸い爽やかな天気である。真っ赤なチャリ「ポルシェ号」にまたがり、正午西国分寺を出陣した。 手元の「立川」の2万5000分の1の地図を頼りに、国分寺の日立中央研究所の北側の道路を東に進み、西武多摩湖線にぶつかったところで北上。一橋学園駅の手前で東に折れ陸上自衛隊小平駐屯地の北側を走り、アカシア通りで左折し、西武線小平駅まで約40分かかった。あとは記憶を頼りに霊園に。 園内に花束を販売するコーナーがあり、対になっているピンクのガーベラとカスミソウの花束を求め、バラの香りのするお香も買った。このあたりだったなぁと赤御影石に「赤司家」と刻まれた墓石を見つけると、なんと墓石の前にロングピースの箱が置いてある。ロンピーは赤司が愛煙していたタバコ。お香を置くところに1本吸った形跡があった。で、俺もロンピーを1本取り出し吸った。 墓前で手を合わせたあと、墓石を見ると赤司はこの墓を亡くなる9年前の10月に自分で手当てしている。某都銀の頭取まで務めた父親と同じ墓には入りたくなかったのか。この民間経営の墓地は1b四方くらいの小区画で、赤司のように苗字を墓石に彫っている人は半分くらい。「ありがとう」「やすらぎ」「和」「慈愛」「誠」「星になり花となれ」「真に自由を得し者ここに眠る」など好きな言葉を刻んでいる人も多く、こういう墓もなかなかいいもんだと思った。 帰りは一橋大学小平キャンパスまで出て、玉川上水の遊歩道を走った。50年前はここをバドミントン部の仲間と木の根っこにけつまずきそうになりながら、連日走ったのだった。 |
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