隠居志願のつぶやき2017

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...... 2021年10月29日 の日記 ......
■ 古田敦也   [ NO. 2021102901-1 ]
 米大リーグの大谷くんのミラクルな活躍にかすみがちな日本のプロ野球だが、今週ようやくセパ両リーグで優勝が決まった。昨シーズンドンケツの6位だったセのヤクルト、パのオリックスが下剋上というのか、最終戦ギリギリで阪神とロッテを下した。
 ガキの頃、俺は今度文化勲章をもらう長嶋茂雄の大ファン。長嶋が巨人軍に入った1958年に小学校に入ったからか。そのころ巨人戦のラジオ中継をよく聞いていた。59年の天覧試合で長嶋が阪神のエース村山実からホームランを打った時も大興奮した覚えがある。
 そんな巨人ファンがアンチ巨人のなったのは、「空白の一日」とかで巨人が法政の投手、江川卓をドラフト破りで入団させたあたりか。アンチ読売の新聞社に入ったことも大いに関係しているかも。で、それからファンになったのは監督にひかれて、広岡達朗、野村克也のヤクルトだ。だから、さだまさしほどではないが、今シーズンの優勝をまぁよかったと思った。
 そして、この前NHKBSで「レジェンドの目撃者」という番組で、ヤクルトの捕手だった古田敦也を取り上げたのを見て「そうだ、俺は古田のファンだった」と思い出した。
 強い乱視のある古田は、メガネをしたままキャッチャーマスクをかぶっていた。立命館を卒業した88年、古田は当然ドラフトにかかるとみられていたが、「メガネの捕手は大成しない」という”迷信”のため、どの球団からも指名されず、トヨタ自動車に入りノンプロで活躍。それから90年にヤクルトに入団した。 
 捕手出身の野村監督にしごかれながら、インサイドワークを学んだ。91年には3割3分9厘で落合博満を抑え首位打者になった。特にすごいのは盗塁阻止率で93年には64%と歴代最高を記録。「レジェンドの目撃者」ではいつも一塁ランナーの顔色をうかがい、二塁ベースにストライクを投げていたと自慢していた。この古田がいて俺はかなりのヤクルトファンになったんだね。
 2004年にはプロ野球選手会長としてストライキを決行したこともあったな。プレーイングマネジャーとして06年監督にもなったが、2年で退いた。15年に野球の殿堂入りした時は「メガネの子どもたちにも野球ができると伝えられたのが一番うれしい」と述べた。カミさんはフジの女子アナだった中井美穂。プロ野球選手が女子アナと一緒になるはしりだったな。

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