隠居志願のつぶやき2017

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...... 2021年11月12日 の日記 ......
■ 寂聴伝 良夜玲瓏   [ NO. 2021111201-1 ]
 あれは入社1年目の1973年11月13日、午後何かの用で支局に上がったら、見知らぬ中年記者2人が原稿を本社に送っていた。「ご内密に」と言われたおぼろげな記憶がある。翌日の朝刊社会面に「瀬戸内晴美さん剃髪?」の大見出しが写真付きで踊っていた。それが、俺が作家瀬戸内晴美の存在を知った最初である。
 2人の記者は岩手県平泉の中尊寺で、作家で僧侶の金東光氏の導きにより51歳で髪をおろした瀬戸内さんを追っかけ、東北本線の福島で途中下車。福島支局の現像室と電話を借りて、特ダネ原稿と写真を送稿したのだ。その寂聴さんが9日、99歳で天寿を全うした。俺は彼女の熱心な読者ではなかったが、5年前に亡くなった戌年生まれのお袋は、生まれ月がひと月だけ先の寂聴さんの大ファンで「美は乱調にあり」などの作品のほとんどを読んでいた。
 政策情報誌の編集部にいた2008年、俳人斎藤慎爾が書いた「寂聴伝 良夜玲瓏」を書評し、お袋にプレゼントしたことがあった。86歳だったお袋は400ページ余の大冊を不自由な目で読んだはずだ。ここにその書評を再録し、寂聴さんのご冥福を祈りたい。
 [いまでこそ京都市嵯峨野に寂庵を構え、徳島ラジオ商殺し事件被告の支援やイラク戦争反対などの社会的活動で、後続の人々の旗印となっている作家の瀬戸内寂聴だが、86歳となる今日までには波瀾万丈の人世を過ごしてきた。
 徳島県で周囲の模範となる軍国少女として成長、戦争中に東京女子大を卒業して結婚して北京へ。1女をもうけたが、敗戦後徳島に帰り夫の教え子と熱烈な恋愛に落ち、夫と子を捨て家を飛び出した。その後、文学の世界に足を踏み入れ妻子ある作家小田仁二郎との確執、作家井上光晴との別れを機に51歳で得度する。その間、瀬戸内は『田村敏子』『美は乱調にあり』など女性先駆者の伝記や現代語訳『源氏物語』など膨大な作品を書き続けてきた。
 瀬戸内を『疾走する慈悲菩薩』と敬愛する俳人の著者が、彼女の膨大な著作を読み返し、時代に合わせて整理しその背景、瀬戸内の心情を見事に描き出した。瀬戸内が『これほど心のこもった批評鑑賞を得たことは、わが生涯になかった。幸せである』とこの本の帯に書いているように、彼女の人世遍歴を肯定する思いのこもった大著で、瀬戸内寂聴の人となりに触れたい人の必読書である。(白水社刊、407ページ、2800円+税)]
 

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