高校時代のクラスメイトに三木くんという付属世田谷中出身の男がいて、のちに首相になった三木武夫の次男だったことから、在学中に宰相になれるかなんてたわいもないカケをよくした。押しの強い奴だったから、田中角栄が逮捕された当時の首相の後を継ぐのではと思っていたが、証券会社に入り、電子関係の会社に天下った。 俺は付属小金井中出身で、小金井(しょうがねえ)と世田谷(よたがや)はケミストリーが違い、在学中は特段話をすることもなかったが、彼は中学時代バスケをやっており、その1年次上に俺と竹橋の会社同期のMくん(のちにスポーツ新聞の社長)がいたせいか、社会人になってから賀状を交わす関係となった。 その三木くんからおとといメールが届き、古稀を迎え新年の賀状は欠礼する。巣籠りの日々とあった。リタイアし体調のすぐれぬカミさんに代わっておさんどんの日々というのには笑ったが、文芸春秋社の社長だった松井清人の死はショックとあり、驚いた。松井は世田谷中で三木と一緒のはず。高3の時は隣のC組にいて(俺は3D)、柔道部のキャプテンをしていた。俺は剣道部で松井は隣で稽古していて割とよく知っている奴だった。 体力派の松井が早稲田を出て、よもや文芸春秋の社長になるとは思ってもみなかった。週刊文春や月刊文芸春秋の編集長時代のエピソードをまとめた著書「異端者たちが時代をつくる」は奴の家計の足しにと購入して、ふむふむと読んだ。晩年は社内抗争に振り回されたみたい。 ちょっと調べたら、ことしの8月15日に病気で亡くなったとある。文春の社長まで務めた男でも、死んでしまえば骨になるだけだ。九十、百まで老醜をさらしたいとは思わないが、せいぜい頑張って八十ちょっとの平均寿命くらいはクリアしたいもんだと、松井死去のメールを見てつくづく思ったのである。 |
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