きのう31日は俺の71歳の誕生日。父の亡くなった歳に追いついたとずっと思っていて、さっき計算したら大正5(1916)年辰年11月生まれの父が亡くなったのは俺ば✖を付けた1991年7月だから、享年74。ということはまだ3年もある。なんだなぁ。 きょう2月1日は1989年に兵隊頭として携わった夕刊サラリーマンページ「あっと5」がスタートした日で、前日までカットの用意などでバタバタしていた。「生涯忘れられない誕生日になりましたね」と言われた記憶がある。 「あっと5」には週一で大企業のキャリアウーマンが書く「女は見てるぞ」という600字のコラムを作り、この人なら書けると発掘した美女5人の全く朱の入らない原稿に毎週うなった。「博愛乙女、チマキ、冷奴、かしこ、鬼百合(この人だけバーのママ)」がそのペンネーム。 おじさんへの応援歌に才を発揮したチマキちゃんは当時総合商社の総合職で、ある時「いくつになっても誕生日をお祝いされるのはうれしいものよ」という話を聞いた。以来、美女たちの誕生日にはお祝いのお便りを送るのが習いとなった。 天皇誕生日は元号が変わるたびに移動するが、個人のバースデーは変わることがないので、一度手帳に書き留めれば終生動くことはない。俺の黒革の手帳にはそんな誕生日マーク「B」のついている男女が60人はいるのだ。 そうやって誕生日を長年祝ってきた成果がきのうは如実に現れた。朝一で秋田時代に世話になった美女から「おめでとう」の電話があり、メールでのお祝いが3件、ドンピシャで届いたお便りが2通もあった。長野の美女からのカードには、チョコレートの絵があり、チョコのところに「PUSH」とあったので、押したら「ハッピーバースデー」のメロディーが流れ、「ド・トール」でちと恥ずかしい思いをした。 そして、夕メシにはとびきり美女に鰻をご馳走になった。夏の土用の鰻もいいが、冬の方が脂が乗ってうまいんだそうである。前日の日曜には長女から立川の伊勢丹で赤い洒落た織り方のセーターをプレゼントされた。ATMをチェックしたら、読書感想文添削のアルバイトのバイト料が入っていて、盆と正月が一緒に来た感じだった。こういう時は交通事故に遭わないように気を付けないとな。 |
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