きょう21日は俺が長年禄を食んだ竹橋の新聞社の創刊記念日である。日本の新聞社では最も古い明治5(1872)年創刊で、めでたく150周年。けさの新聞にはおめでとうの名刺広告が数ページ掲載されており、顔見知りの関係会社の後輩社長さんの名前も何人か並んでいた。創刊記念日を前に在任6年の丸山社長が退任し、4月1日に経済部の12年後輩で、俺が日銀キャップの時の三番手だったMくんが社長に就任する人事も明らかにされた。 Mくんは経済部出身には珍しく、東京本社の編集局長を3年も務め、社長就任は予定のコースだが、インターネットに押され、紙の新聞がドンドン部数を減らしている中でのトップ就任は、おめでとうというより、ご愁傷様の言葉の方が似合うのかも。 ほんに古巣の会社の体力低下は著しく、3年前には50歳以上の社員200人の首切りを行うなど、地方の取材網が非常に弱くなっている。気の利いた若手が泥船に見切りをつけ、デジタルの会社に転身するケースも相次いでいる。 最近我が家では同居している長女が築地の新聞の購読を始めたため、竹橋と築地の新聞を読み比べることが多いのだが、最終版が配達される築地の新聞に比べ、最終版の1版前の13版の竹橋の新聞は内容がかなり見劣りがする。長女のお目当ては最近彼女が親しんでいる短歌の世界の扱いのようだが、北京五輪一つとっても、金曜日の深夜に結果の出たカーリング女子の準決勝の勝利が竹橋の新聞には締め切り時間の関係で全く入らず、築地の新聞で結果を見ることになったり、本日なら現職が勝った町田市長選の結果を築地の方で確認するようなことになる。 このままでは竹橋の新聞社の創刊160周年はないのではないかという心配が大きい。新社長になるMくんには、俺が死ぬまでは会社を持たせてほしいと念ずるばかりだが、それはかなり難しいと言わざるを得ない客観情勢だね。
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