隠居志願のつぶやき2017

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...... 2022年05月18日 の日記 ......
■ あとがきに名前   [ NO. 2022051801-1 ]
 直木賞作家、篠田節子の近作「失われた岬」を一気に読み、あとがきに目を通したら、編集者をしている次女の名前がお世話になった人のところに出ていて、一人ほくそ笑んだ。50年も前の就職の際、俺の第一志望は筑摩書房で、担当した著者にあとがきのところに名前を挙げてもらうのが夢だったのである。
 1980年代の始め、社会部の八王子支局にいて、高尾山の植物に詳しいH氏に「多摩の草木記」という企画を多摩版に連載してもらったことがあった。この連載をH氏がまとめて出版した時、あとがきに世話になったとして俺の名前を記載してもらい、夢は叶えたが、以降そんな機会はなかった。「日本の課長」など俺が携わった紙面企画が出版されたことはあるが、俺の名前で本を出したことはないからな。
 この「あとがきに名前」の話を、先日のゼミ仲間との箱根遠征ゴルフの前夜祭の酒飲みの席で披露したら、元新日鉄のOや元ソニーのTが「そりゃぁいい話だ。ぜひお嬢さんに親の夢を叶えてくれたと話すべきだ」と力説された。
 次女はもう十五年選手だから、あとがきに名前が載ったことは何度かある。その本のほとんどを購入し、一度は政策情報誌の書評欄に取り上げたこともあるが、それで次女に夢を叶えてくれて……と伝えたことはない。少し飛んでいるところのある次女が、そんなことで喜ぶとも思っていないからだ。
 ただ、百貨店などの他業界に進むより、親と同じ活字の世界に進んでくれてよかったとは思っている。十年ほど前か、母校で行われたマスコミ業界についてのOBゼミで、俺が新聞、次女が出版の世界について1時間半の講義をしたことがあって、当時の学長さんに「親子で協力していただいて」と感謝されたのが、ハイライトだったなぁ。
 あの時は娘の授業にもぐり込んで講義を聞いてみたかったのだが、OB会の女性担当者に「絶対ダメです」と止められてしまったのだった。

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