きょうは唯一の社会とのつながり、某団体に頼まれて大学生対象にやっている読書感想文の添削アルバイト絡みの読書講座をぶちかましてきた。相手は今年大学に入学した27人。先日の入塾式の祝辞では「リアルの付き合いを楽しんで」とあいさつしたが、初めてじっくり会う学生たち。マスクを外して自己紹介やら、何故本を読むのか、文章を書く上での基本について2時間も話した。 始めが肝心とばかり、初講義には丸一日かけて準備。過去12年か、この読書感想文の添削アルバイトをやって、同様なことを講義で話してきているので、その中のエッセンスを抜き出し、京大式カード17枚の原稿をしっかり作った。自己紹介をするついでに、俺と関係のある新潟、千葉、福島、秋田、栃木県出身者を当て、顔をしっかり覚えた。顔と名前が一致しなけりゃ、教えることなんて出来ないもんね。 ここで昨日授業で話した「なぜ、人は本を読まなければいけないのか」を記録しておこう。 [物事を知るには、そのことを詳しく知っている人に尋ねるのが一番だ。しかし、そういう人がいつも身近にいるわけではない。それで、関係する本を読む。その300〜400ページの中に、数行でもピッタリきて忘れられない内容があれが、その本を手に取った意味があるのではないか。学術書や実用書がこれに当たる場合が多いと思う。 では、小説はどうなのか。私が尊敬する元経団連会長、平岩外四氏(福島第一原発の事故を知らずに亡くなったのは幸いだった)は、義務としての読書と楽しみのための読書があると言っていた。平岩流に言うと小説というのは、楽しみのための読書だろう。人間は人生において全ての場面に出くわすことは不可能だ。恋愛でも友との葛藤であったり、上司との対立、会社の苦難とか喜びなど、それらの場面、シーンが小説にはあり、それを読むことによって、代理体験というか想像力によって実際に体験したような気持ちになれる。 いい小説を読んだときには自分が作中に入り込んだような思いをすることがあると思う。グイグイ作品に引き込まれて、ページをめくる時間も惜しいような気分になることがある。こんな読書の醍醐味を諸君にもぜひ味わってほしいと思う。 体が栄養のある食べたものでしかできていないのと同様、脳みそも栄養を取り入れる必要がある。ヒトの話や本を読むことで。長年それを続ければ人間の厚みが違ってくる。波長の合う作家の全作品を読むことをお勧めしたい] |
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