世田谷区にあった某国立大付属高校には、東小金井から新宿まで中央線、渋谷まで山手線、そこから東横線で学芸大学まで行き、徒歩で10分。計1時間ちょっとを3年間よく通った。山手線はすし詰めだった。1学年8クラスあり男女同数。1年の時はE組で、2年になる時クラス替えがあり、2D。3年ほそのまま持ち上がって3Dになった。 2年の時の最初の学級委員のMくんが真面目で堅物過ぎたので、中学の時から一緒だった「小金井会」のHと語らい、Mくんの排斥運動を企てた。中学は別だが、気脈を通じていたTくんに「学級委員をやらないか」と持ち掛けたら「ウン」と言ったので、擁立運動を公然化し、2学期かにTくんを学級委員にすることに成功した。 英語の得意なTくんは東京外語大に入り、大手石油会社に入り、91年のイラクによるクウエート侵攻では、現地で死ぬ思いをした。そのTくんの呼びかけで3D有志による同級会が20年ほど前から年に1回程度開かれている。学級委員を引き受けてくれた縁で、男子6人、女子5人のその会にはできるだけ参加してきた。 先週の土曜日、東京駅近くの飲食店で3D昼食会が3年ぶりに開かれ、約半年ぶりに都心に出撃した。なんとその1週間前、メンバーの一人だったM嬢ががんの長い闘病生活のうえ、亡くなったとの連絡があり、会合は彼女への献杯で始まった。今は日本語教師をしているTくんも、3カ月前肺がんが見つかり、右肺の半分を切除する手術を受けたばかりという。その割には元気で安心した。 かつて美貌を誇った女性たちも今や”コッキーズ”のおばあちゃん。それでも「クン付け」で呼ばれるのは新鮮だったなぁ。素浪人となってほとんど使う機会のない「隠居志願」の名刺を配ったら、裏に表記した「年金生活者の馬券術探求の会」の肩書が、一番ウケた様子だった。 |
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