この前吉祥寺での中国語勉強会に出撃し、学習に入る前の雑談で喜寿も越えた長老Aさんが「『小倉百人一首』はだいたい言えるな」とのたまうのを聞いて、さすが東大文学部は違うなと感じ入った。そういう雅な世界に無縁な俺が愛唱している和歌は、西行法師の「願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」とか「万葉集」にある志貴皇子の「石(いわ)走る垂水の上のさわらびの 萌え出づる春になりにけるかも」くらい。 この志貴皇子の歌には俺の苗字らしきものが詠い込まれているので「いわばしる垂みの腹をいかにせむ お菓子止めてもアカンとぞ思ふ」ってなパロディーを作ったりした。現代短歌では夕刊編集部の同僚だった美人歌人、松村由利子さんの「櫂一つ渡され舟を漕ぐ夢に 目指すべき島探しあぐねて」とか、霞が関を担当していたころ知り合った勝部祐子さんの「官庁の長き廊下を屈辱の ごとくヒールの音冴えわたる」なんてのは口を突いて出る。 先週、真田正明という朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」を書いていた人の「朝日新聞記者の書く力 始め方、終わり方」という本を読んだのだが、その本で俵万智の「サラダ記念日」(1987年刊)をパロった筒井康隆の「カラダ記念日」(92年刊)というのがあることを初めて知った。 「サラダ記念日」は金融担当だった30年以上前に、本好きで知られた第一生命社長の桜井孝頴(たかひで)さんにパーティーの席で教わり、こんな三十一文字でもいいんだと思った記憶がある。 で、「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」とか「『嫁さんになれよ』だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」とか「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」などが思い出されるのだが、筒井のパロディーは「『この刺青いいわ』と女(スケ)が言ったから七月六日はカラダ記念日」、「『組長を殺(や)るぞだなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」「おれたちをヤッちゃんと呼ぶ女がいて神戸元町花隈附近」。見事な本歌取りに笑った。筒井はこういう遊びが大好きなんだね。
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