上野動物園にパンダがやってきて今月で50周年というニュースをやっていた。社会部の6方面(上野署など台東、荒川、足立3区の警察3署)担当だった1979年、何代目かのパンダ番だった俺のささやかな特ダネをここに記録しておこう。 パンダの雄カンカンと雌ランランは日中友好の証しとして中国から贈られた。パンダの飼育などしたことのない上野動物園は当初ずいぶん苦労したみたいだ。6方面担当のサツ回りは伝統的に上野動物園も担当する。駆け出しの福島支局から79年5月社会部に上がり、6方面のサツ回りになった俺は、すぐにパンダに振り回されることになった。カンカンとランランの交尾が確認されたからだ。43年前はこれを交尾ではなく「しっかり愛をたしかめ合った」と記事にしたものだ。 警察取材はそっちのけで出産に備えた体制作りの取材に追われた8月末、ランランの様子がおかしくなった。ランラン倒れる、ランラン重症、ランラン頑張る、ランラン危篤、そして79年9月4日午前1時24分ランラン死亡。5日続けて社会面トップの原稿を書いた。9月4日の未明、タクシーで帰宅途中、小金井の自宅の300b手前でポケベルで呼び出され、そのまま動物園にUターン、午前3時からの園長会見に出た。 4日の朝刊は死亡予定稿で1面社会面が立派に出来ていた。動物園には社会部の止まり番から5人も応援が来ていた。その中に俺の前のパンダ番で同期のMくんがいて、4日の夕刊用の飼育係の本間さんの泣かせる苦労話を書いてくれた。その作業が一段落して動物園事務室で仮眠を取っていたら、朝8時ごろか、パンダの会見をずっと仕切っていた都建設局の広報担当が「11時から園長会見をやります」と起こしにきた。 園長の話は午前3時の会見で尽きているはず。とっさに「ガキがいたろ!」と当てたら、百戦錬磨の広報マンがクビを縦に振ってしまった。連日の対応でむこうも疲れていたんだろう、人間とっさの時はウソはつけないのだ。それで応援部隊の隊長H氏に「解剖の結果、ランランは妊娠していた。11時の会見はその件と思います」と話したら、「よし、夕刊の早番からいけ!」。 それで10時45分締め切りの夕刊2版から「ランラン身重で死ぬ」の見出しが躍ったのだった。5日間にわたるランラン死亡に至る報道に中での唯一の特ダネと思っているのだ。 × × × × 今週のトイレの一輪挿しは濃いピンクの大輪のバラ「マダムセリーズ」です。 |
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