この前の金曜日夕方、3年ぶりの同期会を四谷の貸し切り蕎麦屋で盛大に挙行した。竹橋の新聞社に1973年に入社した同期の中で、俺は現役早生まれのうさぎ年で、一番年若。それで十数年前、人事総本部長の要職にあった同期のKくんから「お前が一番長生きしそうだから、永久(A級)幹事をやれ」と命ぜられ、同期会の裏方をずっとやっている。 年1回勤労感謝の日の前後に、その年に会社を卒業した奴をメーンゲストに集まっていたが、コロナで2年間開けなかった。ことしは最後まで会社に残って、1面のコラムを書いていたYくん(73)が3月末にリタイアしたから、ぜひとも同期会は開催したかった。 アドレスを把握している20人にメールを出したら、4分の3の15人から「出席する」の返事をもらった。コロナで年長組の集まりはみんな中止になったから、みんなこの会を楽しみにしていたのだ。 しかし、政治部だったOくんは、奥方の母堂が急死したとかで、残念ながら欠席。経済週刊誌編集長だったIくんは風邪を引き「鼻ズビで電車には乗れない」と当日朝に欠席の連絡があり、13人の会合となった。 5時半スタートの定刻30分前に、蕎麦屋の女将へのプレゼントと思って、鯛焼きを片手に会場に着くと、スポーツ紙社長だったMくんがもういた。どうもボケて時間を大幅に間違えたみたい。Mくんも俺も愛煙家。入口に近い方を”スー族”の席とし、換気扇に近い奥を”スワン族”の席にした。13人中”スー族”は4人と頑張っている。 Yくんに4000円を目途に自分でみつけてと頼んでおいた記念品は、ウイスキーグラスだった。隣に座った20年前一番先に卒業したMくんの時は2万4000円の革鞄だったのだ。 この会は出てよかったと思えるよう、全員に近況を話してもらっているのだが、そういう機会が少ないのか5分以上しゃべる奴が何人もいて、加齢とともに空気が読めなくなっているのを実感した。写真部にいたKくんに集合写真とスナップ写真を撮ってもらい、これを13人と女将に送れば今年の幹事業務はおしまい。 「年に1回と言わずに、もっと開いて」という声も多く出たので、入社50年になる来年からは、年2回くらいの同期会開催にしてもいいかな。 |
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