きのうはコロナになってから一番の遠出をした。行先は群馬県高崎市。30年来の知人で伊勢崎市に住むK嬢の旦那様で書家のY氏が昨年11月、4年間のがん闘病生活の末になくなり、その遺作展が開かれていたからだ。9月にK嬢からいただいた案内状には、Y氏の群大病院での絶筆「みんなありがとう おせわになりました」の金釘流のメモがあり、Y氏が最後の力を振り絞って書いた文字に心を打たれた。K嬢が一周忌の法要に代えて開いた展示なのだ。 Y氏には知り合いの別荘でお目にかかったこともあり、ウチのマンションには”亀”と呼んでいる「曳尾於泥中(尾を泥中に曳く)」の刻字作品も飾ってある。絵葉書に押す「風信雲書」の刻印もいただいた。昨年の葬儀にはコロナで参列できなかっただけに、行かねばならない作品展なのだった。 雲一つない青空の下、北陸新幹線で着いた高崎駅から大通りを10分ほど歩いた。会場の高崎シティギャラリーには、よくぞここまで集めたと思われるY氏の作品が50点ほど展示されていた。Y氏の得意とする篆刻の良さは俺にはよく分からなかったが、芸術家は死んでも作品が残っていいなと思った。トンマな話なのだが、Y氏の号「袖石」が「しゅうせき」と読むことを初めて知った。K嬢にちょっと挨拶して、さて、帰りはどうしよう。 そのまま新幹線で大宮経由で西国分寺に戻るのでは芸がない。三角形の一辺の長さは他の二辺の和より短いという定理を思い出した。高崎からは八高線が南に通じている。それで生まれて初めて八高線に乗ってみた。埼玉の高麗川で乗り換えて、青梅線の拝島まで約2時間。何度かプレーしたことのある飯能市のゴルフ場の脇も通った。関東平野はほぼ平坦であることを実感した。この日の万歩計はなんと1万2000歩を記録したのだ。 × × × × あさっては大学ゼミの遊び仲間との平日ゴルフのため”明後日休診”です。 |
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