戻り年賀も終わろうとしている。日本郵政はことしからお年玉年賀状の抽選会を取り止めるとか。紅白歌合戦と同様、年々出す人が少なくなっている年賀状も見直しが進んでいるみたい。俺なんか商売柄、取材相手と年賀状でつながりを保ち、数年に一度はリアルでお目にかかり関係をつないできたので、賀状は欠かせないとと考える古い人間でござんすが、ことし目立ったのはメールでのお返事と「賀状はことし限りとさせていただきます」という賀状納めのあいさつだった。 賀状納めは古稀もしくは後期高齢者入りをきっかけに行う場合が多い。そうと分かっている相手には最初から賀状は出さないことにするが、それではちょっとという方には出す。そういう人からはだいたい寒中見舞いが来る。だいたい年の暮れに新年おめでとうというのも、不自然といえば不自然で、この寒中見舞いスタイルをずっと通している知人がいるが、これはこれでいいと思う。 ことしの賀状のシーズンでは2回長電話した。一人は秋田時代に懇意にしていた昔美女で、「ゴメン、手が動かないようになって年賀状が出せないのよ」と今にも死にそうな声を出していたので、対応に苦慮。僧侶をしていたおじさんから習った「人間、死ぬまでは生きているというから」と訳の分からぬことを話した。 もう一人はこの3年ほど消息が不明だったお姉ちゃん。賀状に「亭主の転勤について中国に行っていた。二人の女の子のママになった。現在求職中」とあったので「元気そうでなにより」と声を聞いたら、電話口の後ろで幼児の泣く声がした。彼女は十数年前、竹橋の新聞社でアルバイトをしており、3年で雇い止めになるというので、築地の新聞社の知り合いにつなぎ、面接の結果見事採用された経緯がある。 で、鳩居堂の絵葉書に「ナベツネの会社にもぐり込んで、グランドスラムを目指せ」としたためたのである。虚礼が多いとはいうものの、肉筆の手紙の良さは絶対あると思うのだけれど。 |
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