俺ん家の最寄り駅、西国分寺駅の事務室前には「祝 武蔵野線開通50周年 おかげさまでこの日を迎えられました」という大きな垂れ幕がかかっている。府中本町−新松戸間に武蔵野線が開通したのが、1973年4月1日。俺が社会人になったのがこの日である。それを思うと風雨で止まることの多い武蔵野線だが、50年、よく走ってきたなという感懐を覚える。 中央線で一番最近出来た駅が50年前のこの西国分寺駅。その前は1964年東京オリンピックの年に出来た東小金井駅だ。当時は東小金井駅から徒歩7分のところに住んでいた。駅ができるまでは中央線に乗るには、バスで20分の武蔵小金井駅まで出なければならず、駅の完成でずいぶん便利になった。死んだオヤジは「駅ができることを見越して、家を建てた」とよく自慢していた。小金井の実家は俺が小2の時の1959年に出来たのだった。 最近では2009年に南武線の谷保と府中本町の間に西府駅が出来た。一年ほど前、西府−西国分寺間で1時間に1本走っているバスに乗ったことがあった。始発から終点まで乗っていたのは俺だけだった。 東京競馬場につながる大通路のある府中本町駅は、昔は国分寺駅から出ていた下河原線の終点で東京競馬場前という名前だった。ひらかなで一番長い13文字の駅名として鉄道ファンにはよく知られた駅だった。その名前も50年前の武蔵野線開通で消えた。鉄ちゃんとしても有名な政治学者、原武史氏の「歴史のダイヤグラム 2号車」(朝日新書)には東京競馬場前駅の最後の日にホームに立つ原少年の写真が載っている。原少年はその翌日の武蔵野線開通の日も新松戸まで父と電車に乗っている。 原氏によれば、いま西武池袋線と呼ばれている路線は、かつて周辺住民から武蔵野線と呼ばれており、清瀬の結核療養所に入っていた作家福永武彦(作家池澤夏樹のオヤジさん)らの記述に武蔵野線が出てくるとか。しかし、JR武蔵野線の開通でその呼び名は消えてしまったという。 東京23区内に住む人には縁のない武蔵野線だが、俺なんか餃子の都で仕事をしていた10年前からの4年間は、西国分寺から大宮に出て、そこから新幹線で25分の宇都宮に行っていたから、武蔵野線はよく利用したのだ。 |
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