喪中のお便りもけっこう届き、10月に課題(高田郁著「銀二貫」)を出した読書感想文のチェックも終わったので、きのうから年賀状の宛て名書きに着手した。来春用に用意した龍のデザインの年賀状は200枚。今春より10枚少ない。先月のうちに相手リストを作ったら208人となった。きのうまでに届いた喪中の知らせは、ゴルフでよく一緒に回る82歳翁きたさんが妻純子さんが6月に亡くなり、新年のあいさつは控えさせていただくというものなど9件。208−9=199でピッタリコンだ。 今年の喪中葉書で目に付いたのは父母が亡くなったケースで、90歳台の方が多いこと。しかし、中には90歳近いと思われる駆け出し時代のいわき支局長Sさんから、63歳の長男が亡くなり喪中という連絡も。いわき時代チャリで取材に駆け回っていた先輩。こういう逆縁は辛いよな。 宮城谷昌光の中国モノ小説を読むと、父が亡くなり三年喪に服す、という表現がよく出てくる。俺なんか7年前の16年1月4日にお袋が亡くなった時は、立春の前の死だったし、年賀状での付き合いが途絶えてしまうのを嫌って、喪中とはせずそのまま17年新春の賀状は出し続けた。天寿を全うしたと思うお袋。精神的に喪になど服していなかったもんな。 それで、1992年7月に亡くなったオヤジの時はどうしたか、手元の記録を調べてみた。俺は社会人になって3年目の76年の年賀状から印刷された毎年の年賀状を1枚ずつ全部残しているのだ。すると92年の11月に「日曜日の『ほーむエコノミー』の編集から経済企画庁クラブに持ち場替えになった」という連絡とともに、父が亡くなり新年のご挨拶は控えさせていただきますという葉書を出していることが判った。 現役バリバリの頃で、チンピラにしては割と豪勢な花輪の並ぶ葬式をやったので、賀状は控えた方がいいと判断したんだろう。あの時は花輪を並べる順番をどうするかで無い知恵を絞ったのだった。 俺は賀状書きのシーズンは年に一度の書道の練習の機会を思っているので、筆ペンで心を込めて一枚一枚宛て名を書いて、必ず一筆添えることにしている。けっこう手間はかかるが、なにせ時間が山のようにある素浪人暮らしだからね。 × × × × あすは初めての「東京下野会」のゴルフのため”明日休診”です。 |
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