第一線で取材活動をしていた時代、一番世話になった外部の方は伊勢丹の広報部長だったTさんである。30代後半、体調を崩して会社を休んだ際には、復帰までの3カ月間「ウチに通ってくればいい」と机、電話のある同社の記者室に足慣らしに通うよう勧めてくれ、Tさんがひと月に1回開いていた部下(約30人でほとんどが女性)のお誕生会に加えてもらったこともある。 この会はその月に誕生日を迎えた部員をジュースとお菓子でお祝いし、Tさんがポケットマネーで購入した文庫本をプレゼントするもので、Tさんが部長時代の伊勢丹広報は業界最強だった。 Tさんが栄進した後も、卒業後も当時の男性課長や切れ者の女性の部下で年に3回は飲み会を続けていた。会の名前はTさんが退職後に購入した「フェアレディ―Z」にちなんで「Z会」といった。「Z会」は切れ目なく続けられていたのだが、コロナのため4年前に中断。Tさんとの連絡も途絶えた。 そのTさんの誕生日は先週の土曜日の1月20日。例年絵葉書の誕生祝いを出していたが、ことしは俺の入院騒ぎもあって出せず仕舞いだった。毎年いただいていたTさんからの年賀状もことしは届かなかった。で、土曜日昼、Tさんのケイタイに電話すると「この電話はおつなぎできません」。あれれ?絶対何かあったと思い、ご自宅に電話した。 すると、奥方が出て「まぁ、○○さん」。30年近く前、俺が秋田で勤務していた時、Tさんは奥方と一緒に車で訪ねてくれたことがあり、奥方も見知っているのだ。聞けば、Tさんは数年前からパーキンソン病を患い、症状が悪くなって昨年8月から入院しているのだとか。どおりで昨年の賀状もTさんにしては珍しく素っ気ない内容だった。 「見舞いも2週間に一度、30分だけなの」と奥方は嘆いておられた。あのハツラツとしたTさんがそんな病魔におかされるとは……。「賀状が来なかったから、電話してみました。お大事にとお伝えください」。78歳になったTさん。何とか回復していただいて、直接お礼を言わなくてはと思ったのです。 |
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